皆様おはこんばんちは☆
藤本表具店のブログ担当のkです☆
実に久しぶり~な感じになっています(汗)
当ブログを楽しみに楽しみに待っていてくださった皆々様・・・(シーン)
今回は少しだけ
くまモン県からのkの介護日記にお付き合いくださいね~。
んなもんいらんわいっ☆
という方もまぁそうおっしゃらずに、ごゆるりと・・
老後は、皆に平等に訪れることなのですから・・
どうか一表具師の嫁であるkの
奮闘記を少しだけ☆愚痴もかねて☆お届けしまーーす♪
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kの実母は、認知症です。
レビー正体型認知症という、ちょっと幻視幻聴が特徴のヤツです。
アルツよりは少し記憶系はマシな気がしますが、
まぁ、それでも認知症ですので、それなりです。
熊本の独り暮らしの母が認知症の診断を受けて、もう少ししたら約二年になろうとしています。
そして、秋に親族の話し合いがもたれ、
私が熊本の母のサポートに行くことになってから、一年と約7か月は少し過ぎましたね。
当初の母と今の母。
勿論違います。
少しずつ進んでいるのは私も実感しています。
①当初は隔週で月曜から金曜までいました。
が、すぐにそれでは足りないと思って
②日曜から日曜までのがっつり私の生活の半分を母のところに行くことになって一年3か月くらいが過ぎたころ、
母が階段から落ち、骨折してからの総合病院に二週間入院→精神科への転院で3か月
そして4月末に退院してからの
③イマココ
退院ひと月がやっとたったところです。
このひとつき、
ブログを一度も書けなかったことから
すさまじい日々だったことを、少し想像していただければ幸いです
この5月、鳥栖に帰宅できたのは、わずか一泊二日でした。
あとはずっとくまモン県で母のサポートをしておりました。
そしてそれは今も現在進行形で、
次に帰れるのは、6月も半ば過ぎの予定です。
はぁ、
店主が金持ちでイケメンだったら、とうに浮気されてるレベルだなぁ笑
と我ながら思ってます。
介護妻なんて、嫌ですよね。実際。
しかも私の実母ですし。
家を放り出してまですることか?と思う方もいるかもしれません。
自分の人生を犠牲にしてまでしなあかんことなのか?と私も時々思います。
介護とは。
きれいごとでなく
介護とは。
子供(自分)の犠牲により、成り立つ善行(と思われているもの)です。
もちろん、介護の内容により
その犠牲は大小あり、
人生を犠牲にするレベルでない方も大勢います。
*ただし、認知症、それが少し激しい系の、エキセントリック型の場合は*
実親に振り回され、自分の人生を後回しにし、お金を稼ぐ経済的行為も自分が楽しむ社会的行為もできず、経済はどんどん困窮し、
ただただ、時間と体力と真心やメンタルを搾取されるという、過酷な状況になります。
もはや人格も変わった自分の親の姿をした誰かを見続けるという
まるで罰ゲームのような状況になるわけですが
それでも彼らが時々見せる、
かつての表情や言動や笑顔が
時折わたしたち介護者の心を慰めたり癒したりするのも事実で。
その時折の彼らの笑顔がなければ
とうにわたしも逃げ出していると思います。
~スローバラードの夜~
♪昨日はクルマの中で寝た~♪
RCサクセションの名曲、「スローバラード」のように
私は昨日クルマの中で寝た。
車の後部座席にひざかけのみをかけ毛布にして。
そうなんですね。
時にこうして、
昼夜かまわず、避難することもあるわけです。
まぁ、なんともみじめな車中泊。
悲しくて涙出ますが。
大好きな清志郎のスローバラードのようだと思いながら深夜の静かな街灯を見てました。
言い争いをしたくなければ、逃げるしかない。
BABY逃げるんだ~♪
おっとこれも清志郎さんでしたね。
ひたすら無言しかない。
寝たふりを決める。
寝たふりしている頭のあたりで、たったまま、罵声を浴びせられている時間は
苦痛でしかない。
しかし言い争いをするわけにもいかないので、とにかく寝たふり(夜なら)
返事をしない私にあきらめて寝室に戻ってから
わずかな手荷物だけ持って
脱出するわけです。
ずっと一緒にいて、彼女が失敗しないように、快適なように
見守り、先回りやサポート、発言、行動含め、フォローをしていますが、
時折こうして避難するときはもうそんなことは知ったこっちゃないという心境になっています。
ちなみに昨夜は深夜2時ころの「通帳返せ」攻撃。(通帳返せは毎日言われるが昨晩は寝たふりしている私の頭の横でずーーっと言い続けた)
外に出て車にひかれても
酒を買いに行ってこけて救急車がきたとしても
変なものをたべても
トイレを詰まらせても
彼女が幻聴で寂しくなったとしても
「病気が言わせているんですから」
どんな暴言も(ときには暴力も)、医師やケアマネ、福祉関係の方は皆さんそうおっしゃいます。
そんなの、言われなくても、介護者は、百も承知ですよ。
「未来の自分よ」
そんなことも、もちろん百も承知です。
だから私は長生きしようなんて思ってないですね。
むしろ、私は
母が大好きでしたし
今も、たぶん好きなんです。
だからその「情」でみれているというだけ、ですね。
発狂しそうな出来事が毎日毎日あったとしても。
1.2パーセントくらいの笑顔がすべてを覆したりする、それが「情」
それでも、介護者だって人間。
むこうは忘れてもこちらの心の傷は毎日えぐられている。
忘れたふりをして、毎日生きているんだよ。
だけど聞いてられないときもある。
あまりにやるせないときもある。
家庭を犠牲にして、一生懸命、頑張っても。文句を言われ。
帰れといわれ。顔もみたくないと言われたりなんてしょっちゅうで。
通帳返せも毎日。
本当に発狂しそうな日々なんです。
ただ、母が忘れているときにこちらが蒸し返さないだけで。
忘れたふりをしてるだけなんです。
母が退院するにあたり
入院中から
何度も先生とのカンファレンスがあり
在宅では厳しいことや
家族がしんどいということ
独り暮らしは難しいということを散々言われ
覚悟を決めながらも迷いつつ、
自分もグループホームなどを見学に行ったりもしたけど。
まさかの叔母による、
「〇子がかわいそうすぎる!」
という私への攻撃。
骨折で総合病院に入院し、その後、総合病院から精神科病院への医療保護入院となったことを
私が、「精神病院に入れた」と
他の親戚に言いふらされ
親戚の間で、「ひどい娘だ」というレッテルを張られることになったのだ。
「あんな病院にいれて!」
「もっと普通の病院に!」
「あんなとこいれたらもっとひどくなる」
「帰りたい帰りたいといっている」
「いますぐ出してやりたい!!」
などなど。
もう、ため息しか出ないのだ。
総合病院に入院したとき、入院はせいぜい二週間くらいと聞いていたので
もしも転院とかがあるなら、リハビリ系の病院にお願いしますと
私は入院当日から、もちろん主治医に頼んでいた。
が。
骨折しているので歩いてはいけないという医師や看護師のいうことを一切聞かず
何度とめても骨折しているのを忘れて歩き回り
お金がなくなったといっては看護師に探させたり
私には毎日の暴言の電話で看護師を立ち合わせたり他などなどの行為から
総合病院が
「足の治療より、脳の治療を」といって精神科に医療保護入院としてつないでいたのだった。
そんなことを一切知らない叔母が
私は精神科に入れたといってほかの親戚に言いふらし
「いとこもみんなあの病院ではいかんといってる」といい
私は孤立無援状態。
まぁ。凹んで凹んで。
本当はいいグループホームも見つけていて
叔母や叔父も、きっとそこならと言ってくれるんじゃないかと思っていたのが
すべて水の泡。
叔母が自分で母をみるという。
病院も連れて行かず、温泉も連れて行かず、デイなどの契約もせず
あんたのようにはみらんけども、わたしがみるたい!というわけのわからん理屈をいい、
キーパーソンを変わるという。
叔母もはっきりいって、私は認知をかなり疑っている86歳。
ものすご忘れっぽいし、いい加減だし雑な人間なのだが、
猫が大好きで捨て猫、野良猫をいっぱい拾ってくる。
母が
毎日毎日退院したい、ここから出たいという訴えを
彼女はおそらく捨て猫のようにうつったのだろう。
私には容易に理解できたが
母は野良猫じゃない。
骨折しているのを忘れ、医師の言うことも聞かずに歩き回る母を、
自宅で私は止める自身などない。
いまの状況が一番安全なのだと
病院以上の状況・環境を母に与えられない限りは退院はさせないほうがいいのだということを訴えなんとか、入院は満了まで死守できたのだが
退院後は在宅という選択になってしまった。
叔母が
ケアマネや医師の前で堂々と
「娘さんのいないときは叔母さんがみられるんですね?」という問いに
「はい!!私がみます!!」と。
叔父(叔母の弟)が、ねえちゃんはみれんばい、と何度も止めるのに
「みさせろ!!」「みたか!!」といってきかなかった叔母。
「母が叔母さんの家に行かない日は、どうしますか」と聞けば
「そんときはねえちゃんが〇子の家に行くたい!」
とまで言ったので。
私はこの言葉が決めてとなり在宅を決めたのだった。
私がいない週は、母が歩いて叔母宅までいって泊まるか、
行かないといった日は
叔母がここにくるんだなというのが決めてになった。
(母が幻聴のため、一人で寝られず、私のいない日は、叔母宅に6割から7割、歩いて寝にいっていた)
が。
退院してから初めて私が鳥栖に帰ろうとした日。
予定の日よりはずいぶん超過したが、鳥栖に帰らねばならない用事がどうしてもあったので
帰ることにした日の朝に(この日に帰ることは勿論、事前に言っていた)
「今日は何時ころきますか」と
電話をしたら
まさかの。
「いけんばい!」
〇子が来るならうちでみてやるけど
そっちいってまではみれんばい。
一日くらいならまだいってもいいけど
二日も三日もはいけんばい。
猫もおるし。
デタ。やっぱり。
86歳認知症疑いの叔母の話など、まともにきくんじゃなかったと後悔した。
「でも、叔母さんは、母がいかないといったときは自分がくるっていったじゃないですか」
「みんなの前でいいましたよ」
「そんなこと言ったっけ」
呆れてものが言えない。
私はそのセリフを聞いたら
涙があふれ出てきた。
そんな程度の覚悟で、「わたしがみる!」とみんなの前で豪語したのか。
もう、鳥栖に帰れないかもしれないと思い
ケアマネ等に電話し
叔母が手のひらひっくり返したこと
相談したが
「そんなのわかってたことじゃないですか」
「予想できましたよね」
だれだよ、困ったときにケアマネに相談しろ、なんていうのは。
頼りにもなんにもならない。
ショートステイというのを試したいが
いまは時間がない。
一日だけなら泊りにいってもいいという言葉を信じ
それなら
翌日に一泊のみしてもらい、私は一泊のみ鳥栖に帰ったわけで。
来月は計画立て直しでショートをいれようと思った。
たった一泊だったけど。
よかったけど。
やっぱりみんな誰もが自分のことばかりで、
覚悟のある人間なんかいない。
信用なんか、やっぱり出来ないと痛感した。
「それなら介護計画を立て直しです」といって叔母に言うとうんといったため
来月のカレンダーからは叔母の名前はもうはずした。
その代わりにショートを予約した。
うまくこのショートステイを使って、月に5日か6日くらい、鳥栖に帰ってこれるように
しようと思っている。
はぁ・・・・
こんな感じのドタバタな毎日。
それでもやっぱり、施設となると、二の足を踏むんですね私も。
「娘さんがいてよかったね」「幸せね」と言われるときだけ
「感謝してます」と口だけいう母に辟易しながらも
まだ母が会話のできるうちは
なんとか自分がまだ頑張れるうちは
頑張ってみようと思うのだ。
介護を始めた当初の
「母に幸せな老後を送ってほしい」
「笑って欲しい」
「楽しんでほしい」という
最初の気持ちに偽りはなく
今もそう思っている
ただそれがその母当人によって気持ちを踏みにじられる日々が辛いのは現状だけど
母だけでなく
親戚からも、まるで悪意があり精神病院にいれたように言われたり。
母親の通帳を取り上げている、
娘に負けるな、とさえ、
言われたりもするんです。
介護とは
実親だけでなく
それを囲む周囲さえ、時に自分の敵となることを知りました。
なんだか長文になってしまったけど
kの熊本でのいまの現状。
これからももしかしたら
スローバラードな夜は続くかもしれないけど。
もう少し。
あと少し。
頑張ってみたいと思います。
よかったら
エールくださいね。
愚痴言いあえる仲間は常に募集中です☆
読みにくい長文。
最期まで読んでくださってありがとうございました。
ではではまたね☆
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