みなさまおはこんばんちは☆
藤本表具店のブログ担当のkです♪
九月も今日で終わります。
お彼岸が終わってから急に肌寒く・・まではなってないけど
少し涼しくはなりましたよね。
そんな先日の日曜に、
佐賀県展は終了いたしました。
今年は75回めという記念すべき回だったので
たくさんの方にご来場いただけまして、本当にありがとうございました。
今後も、佐賀の芸術家さまたちの新しい作品を見れる場所として
続いていくことを願っております☆
はてさて。
そんな佐賀県展の帰り道には
ちょうど彼岸もおわったというところで
切通川の彼岸花をのぞいてみましたら。
数年前ほどではないにしろ
たくさんの花がまた咲いておりました。
こちらの切通川は
以前はテレビの取材がくるほどに
色とりどりの彼岸花が咲いていまして
私もきて写真を撮ったのですが
昨年も
その前の年もだったかな?
なぜか急に見えなくなりました。
確か、一般の方のご好意で維持されていた彼岸花だったと思うので
その方になにかあったのではないかと
勝手に心配しておりましたが・・
その時ほどではないのですが、ことしは咲いております。
川沿いや田んぼのふち、おはかなどに
よく咲く彼岸花ですけど
川沿いにさく彼岸花は
水面がキラキラしてて
余計美しく感じますね。
いまが見ごろだと思います。
かつてのように不思議な色の彼岸花はもう見れないのか
少し寂しいですけれど
切通川に彼岸花が復活したことだけでもうれしいわたしなのでした。
みなさまもぜひ行かれてみてください♪
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四阿弥(あずまや)in鳥栖
んで、やっぱ、あずまやですよ。
あずまやは、さらに咲いています。
先日いったときはまだつぼみだった白の彼岸花が満開で
黄色も咲いています。
まさにいまが見ごろです。
↑こんな野性的な咲き方をしているかと思えば
こんなにかわいくしろと赤が規則正しく並んでさいている場所もあったりね。
赤もいいけど
白もいい。
そして黄色もいい。
青空に深い緑の山。
黄色の草。
そして深紅の彼岸花。
このコントラストはマジで
いつ見ても素晴らしすぎます。
日本の棚田百景、には残念ながら、入ってないけど
鳥栖の棚田5景、には入ってる。絶対に。と勝手に思ってます。
個人的には鳥栖でナンバー1の景色と思ってる、です。
そんなあずまやの棚田。
なんだかあまりにきれいな規則正しい紅白のラインなので
統治された公園みたいに見えますね。
でもここは鳥栖のやまんなか。
あずまやという場所。
彼岸花の名所でもあり
夏には自然のプールが解放されるというマイナスイオンあふれてる場所。
彼岸花の時期は短いです。
みなさま是非
ちかくに小さくても個人的にお好きな彼岸花の名所があれば
こっそりkにメールしてくださいませ☆
是非「ウォッチリスト」にいれたいと思いますので☆
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☆kのひとり語りコーナー☆
9月って少し寂しい月。
自分のなかでは9月は
大事故にあった月だから、とっても複雑な月なんだけど
今年の25回目の「自分の命日」は、少しいつもと違いました。
もう余生と思って生きてきたこの25年を
大きく変えた今年の自分の命日。
この25年。
自分はいったん死んだとすべてを大きく諦め。
何かを変えようとも、未来を描こうともせず。
ただ、店主と静かな時間を過ごせればいいと。
地味でいい。静かでいい。大きくなくていい。寄り添いながら生きていければと
昭和かれすすき・・・かな。そんな感じ。
(あまり全歌詞は知らないけどなんかそんな感じ)
静かに地味にひたすら地味に
誰とも交わろうともせずに生きてきたけど。
自分のため、には生きられなかったけど。
誰かのため、にならできることがあった。しようと思うことができた、そんなことを発見した、25年目だった。
・・・・・・・・・・・
最近トイレを失敗するようになった母の下の世話を初めてしたときに。
「ごめんねごめんね」と母が私に謝った。
これがもう悲しくて。
きっと恥ずかしいのに私にごめんていうなんてと。私が下手だからなんだと思った私は
お尻の洗い方、が上手な人になりたい、教えてもらって、母に謝ってもらいたくないと
愚痴ブログに書いたら。
「自分は事情を話して、技術を教えてもらうために、二時間くらいのバイトにいったことがありますよ」というコメントをいただいた、
そのコメントを見て
私はすぐに八代の近い施設を調べ、直電してみたら。
面接にきてくださいと言われて
まさかの面接の日が本当9月3日だったんだけど
先方の都合ではやまり、まさかの9月1日という、私の大事故にあった日になったのだ。
25年前の9月1日に死にかけていた自分が
25年たってやっと、その日にバイトの面接にいった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
25年目の自分の命日に
私は25年ぶりに「面接」という社会のドアをあけた。
受かるかどうかなんてわからなかったけどこれはものすごく大きかった。
もし、ここに落ちても、ほかのところに片っ端から電話かけると心に決めていた。
するとまさかの
数日後に
きてくださいとのお返事をもらって。
私はいま、超短時間だけど
八代の施設で、働いています。まだまだひよっこですけど。
嘘みたいなんです。
私がまた働くなんて。
社会の歯車のひとつになるだなんて。
誰かと関わるなんて。
☆☆
やっと目が覚めたのかも知れない。
ずっと私は眠っていたのかもしれない。
もう目をさまさなくてもいいと思っていた。
だけど。
その目をさましてくれたのは。
私に
バイトの面接にいかせたのは。
まさしくこの認知症の私の母なのだ。
彼女の世話の技術を向上させたいと思ったことが
社会のドアをひらくことにつながった。
自分のためなら絶対にあけれらなかったし、その気もなかった。
「介護は親が見せる最後の教育」
とよくいうけれど。
彼女は身をもって
大きく人生をあきらめていた自分の娘を
余生でない違う未来を生きるように誘導した。
これが
教育でなくてなんであろうか。
私は、いままでこの二年間。
母を世話してやってきてるつもりでいた。
認知症の世話は、本当に、苦労が絶えず、
泣いたのも死にたくなったのも一度や二度じゃない。
親を長生きさせるには、子供の犠牲が必要だとすら、私は思っていた。
自分が犠牲になってるつもりでいた。
とんでもなかった。
この認知症の母により、自分は救われていたことに。
この二年たってやっと気づいたのである。
認知症の母から学ぶこと。
それはたいてい自分への気づき、ではあるが。
自分一人では気づけないことばかりである。
今日も母の暴言に朝から落胆し
傷つくけれど
それでも
そのことを忘れる彼女に
きっと私は今後も向き合っていくだろう。
私の働く施設では
正直、母より軽い人も多く。
医者の見立てでは
うち母は、施設などに入居している人よりも「認知」でいうなら進んでいるだろうと。
よく在宅で見られてますねと先日も言われた。
エゴかもしれないのだが。
やはり私は
自分ができなくなる、自分では及ばない問題があるまでは
どんなに傷ついても、暴言や、大変だからといった理由では
施設を選ばないだろう。
医療的ケア。歩けなくなる、などの全介助が必要になったときはじめて
自分ではできないと思ったときになら
もしかしたら母に
「ごめんな、わたしじゃ、もう無理やわ」と
そのときこそ、いえるのかもしれない。
自分が、母に面と向かって、ごめんなと謝ることができない限りは
やっぱり、家で普通の暮らしをさせてあげたい、そのサポートを続けていくんだろう。
いつか
どんな形でこの介護生活が終わるのかは
想像もつかないけれど。
もうほぼ私を娘とも認識していない母だが。
少女になってしまった母の手をひく暮らしは
そんなに悪いものではない。
ときどき悪魔が乗り移って私を傷つけ奈落の底には落とすけど
私ももう少し。頑張ってみようと思うので。
同じように介護の悩みなど持っておられる方は
是非お気軽にメールくださいね☆
アドバイスなんかはできないけど。
一緒に愚痴ろう。
一緒に泣こう。
一緒に叫ぼう。
一緒にカラオケとかいかんですか???
ではでは。
またね☆
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